一回くらいなら、
「今日はいいや」
で流しても、問題ありません。
疲れている日もあるし、
考えたくない日もある。
でも、この言葉が
何日も続いたあと、
少しずつ起きやすいことがあります。
「今日はいいや」は、休憩にも逃げにもなる
まず前提として、
「今日はいいや」は悪者じゃありません。
- 頭を休ませる
- 気持ちを守る
- 無理をしない
こうした役割も、ちゃんとあります。
ただし、
休憩として使っているのか、
流れとして定着しているのかで、
意味が変わってきます。
続いたときに起きやすいのは「判断の自動化」
「今日はいいや」が続くと、
人はだんだん考えなくなります。
- 毎回同じ選択
- 毎回同じ理由
- 気づいたら同じ結果
これは怠けではなく、
脳が楽なルートを覚えただけ。
考えなくて済む流れが
自動化されていきます。
自動化されると、違和感に気づきにくくなる
判断が自動になると、
- あれ?と思う時間が減る
- 比較しなくなる
- 振り返らなくなる
結果として、
「ちょっとおかしいかも」
という違和感が、
後回しにされやすくなります。
そして、
気づいた時には
結構進んでしまっている。
「今日はいいや」が続くと、戻るのが重くなる
一日だけなら、
次の日に戻れます。
でも数日、数週間続くと、
- 今さら戻すのが面倒
- また考えるのがしんどい
- どこから戻せばいいか分からない
こうなりやすい。
だから、
「今日はいいや」が続いたあとほど、
動き出すハードルが高く感じます。
対処はシンプル。「一回だけ戻す」
ここで大事なのは、
全部を元に戻そうとしないこと。
おすすめは、
一回だけ戻す。
- 今日は一度だけ考える
- 一度だけ立ち止まる
- 一回だけ別の選択肢を見る
これで十分です。
流れは、
一回のズレで変わります。
「戻れたかどうか」より「気づけたかどうか」
評価の基準を
ここに置いてください。
- 戻れたか → ×
- 気づけたか → ○
「今日はいいや、多かったな」
そう思えた時点で、
もう一段階進んでいます。
休むことと、流されることは別
休むのは大事。
流され続けるのは、別の話。
この区別ができるようになると、
「今日はいいや」は
ちゃんと休憩として使えるようになります。
このブログでは、
その境目を
一つずつ言葉にしていきます。
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